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2009.10.08 Thursday
ロストジェネレーション
ヘミングウェイが生まれてから処女長編『日はまた昇る』を書くまでのアメリカが、どういう時代だったのか、高校の参考書をひきながらノートにメモした。 2009.10.05 Monday
第三の人間を求めて
第三の人間とは、アリストテレスが、その師匠であるプラトンのイデア論を批判するために用いた概念である。
アリストテレスは、イデア論に対して、真実在である人間のイデアと個々の人間では、二つを結ぶ第三の人間が存在することになり、イデアが無数に存在するという不都合が起こるといって、イデア論を批判した。 意味はよくわからないんだけれども、第三の人間って言葉がかっこいいじゃないかと。第三の男みたいで。 俺はこの第三の人間を肯定的に捉えてだな、個々の人間の取るに足らない事情は脇に置いて、かといって完全で理想的な人間でもない、第三の人間を見つけようと思い立ったのであった。 その最初の試みとして、アーネスト・ヘミングウェイを読んでみようと。なぜヘミングウェイか、それはフォークナーと並んで、アメリカ文学を世界の文学にした最初の作家だからだ。というのは建前で、トマスピンチョンより英語がずっと読みやすいからだった。 作品はヘミングウェイの処女長編となる『日はまた昇る』で発表は1926年。 ヘミングウェイは十九世紀末から二つの世界大戦をはさんだ、喪失世代に当たる作家だ。何の喪失かというと価値観の喪失である。本書を繙く前に、まずは彼の生きた、また作品の書かれた時代背景から確認してみることにする。 ちなみにヘミングウェイはイリノイ州出身で、イリノイの語源となる言葉は先住民の言葉で「完全な人間」を意味するとか。 これは、もう行くしか。 |