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ロストジェネレーション

 ヘミングウェイが生まれてから処女長編『日はまた昇る』を書くまでのアメリカが、どういう時代だったのか、高校の参考書をひきながらノートにメモした。

 数日たった今、見返してみると、かなりいい加減なメモで、ほっとくとこのまま無かったことになりそうなので、ちょっと思い返しながら簡単にまとめてみる。

 とりあえず、生まれるちょっと前くらいからということで。

 ヘミングウェイが生まれたのが1899年だから、18世紀末頃のアメリカ、南北戦争が終わってからの半世紀くらいということになる。この間に第一次世界大戦があり、大恐慌へと向かう。そのさなかに『日はまた昇る』は書かれた。

 南北戦争の終結は1865年で、この戦争は合衆国対するに南部11州からなるアメリカ連合の戦争であった。勝ったのは合衆国側で死者は62万。

 そこからの約30年くらいを「金ぴか時代」という。マークトゥエインの同名の作品からとられてこう呼ばれている。アメリカ資本主義が急発展した時で、政財界の癒着や道徳的退廃への皮肉が込められている。

 1870年代、つまり南北戦争後の10年くらいのうちに、資本輸入や鉄道事業で財をなしたモーガン財閥や、石油のロックフェラー財閥などの巨大資本が登場する。大陸横断鉄道や電信、電話が広がったのもこのころだ。

 アメリカがキューバの独立を支援していたことやWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の思想の広まりも記しておく。

 1898年に共和党のマッキンリーが大統領選で勝利する。ちなみに共和党は北部に支持基盤をもつ黒人・奴隷解放を掲げる保守政党。それに対し民主党は共和党から分裂した南部に支持基盤を持つ革新派の政党である。

 この年にアメリカ−スペイン戦争に勝利する。同年ハワイ島を併合(州になるのは1959年)したことも加えておこう。

 翌年1899年7月、イリノイ州オークバ(現シカゴ)にアーネスト・ヘミングウェイが生まれる。

 1901年、プラット修正条項によりキューバがアメリカの保護国となる。同年にマッキンリー大統領が暗殺され、セオドア・ルーズヴェルトが二期連続で大統領を務める。その間にはパナマ運河建設の利権を獲得し、日露戦争ではポーツマスでの講和を斡旋している。

 翌年、キューバ共和国として独立を遂げる。

 間に共和党のタフト大統領を挿んで、1913年、民主党のウィルソンが「新しい自由」を掲げて大統領に当選、二期連続で務める。

 翌年の1914年にパナマ運河が完成する。クレイトン反トラスト法が制定され、独占体や企業取引の違法行為が明確化され、規制の対象となる。ちなみにここから連邦取引委員会が組織され、34年から今にいたる証券取引委員会の母体となる。

 そして、第一次世界大戦がはじまる。

 第一次世界大戦について少し。

 直接の契機がサラエボ事件であることは、受験で世界史をとらなかった俺でも知っていた。オーストリアの皇位継承者が、サラエボでセルビア系青年に暗殺されるという事件である。しかし、受験勉強としてでなく、歴史として考えてみると、疑問がたくさん浮かんでくる。

 まず疑問に思ったのは、オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻がなぜ殺されたのかということ。

 その前に知らなければならなかったのは、殺された場所サラエボについてだった。サラエボはボスニアの州都であり、ボスニアは1908年にハプスブルグ帝国(オーストリア−ハンガリー帝国)に併合され、軍事統制下にあった。そのボスニアの州都サラエボを訪問中に殺されたのである。

 今度は、殺した青年の方である。プリンツィプというこの青年は、政治・文学サークルである青年ボスニアに参加していた。ボスニアという符牒。

 しかし、これで俺の疑問が解決したかというと、そうではない。ボスニアは事件の前から併合されていたし、ハプスブルグ帝国は隣国のセルビアに宣戦布告したからだ。

 結局わかったのは、青年ボスニアに武器などを提供し、暗殺を支持したのが「統一か死か」、またの名を黒手組というセルビアの組織だった。それで、ドイツの支援を得てハプスブルグ帝国はセルビアと戦争を始めたのだった。それにしてもすごいネーミングである。

 第一次世界大戦を最初に始めたのはドイツではなかった。

 でも負けたのはドイツだ。どういうことなのか。

 ドイツ帝国とハプスブルグ帝国の間にもいろいろややこしい歴史の事情があるのだが、この頃は、ハプスブルグ帝国はドイツの連邦国のひとつであった。そして、この機に乗じてドイツ帝国は、これまたアルザスやらロレーヌやらバルカン半島やらの利権がらみで、フランスとロシアに宣戦布告したのである。

 第一次世界大戦にアメリカが参戦したのは1917年。参加のための大義名分はドイツが1917年二月に「無制限潜水艦作戦」を開始したことへの制裁だ。

 これにも補足があって、1915年にアイルランド沖でドイツ潜水艦によってイギリス客船ルシタニア号が沈められるという事件があった。それには128名のアメリカ人が乗っており、かねてから国民感情が高まっていたのだった。

 戦争の結末は、1918年。アメリカとドイツが休戦交渉をおこなっている中、ドイツ国内で革命が相次ぎ11月、休戦条約調印で幕を閉じる。

 大戦後のアメリカについて。

 連合国への借款や食料の提供から、アメリカはこの大戦によって、債務国から一転債権国へと急成長を遂げる。

 1920年の大統領選では共和党のハーディングが「平常への復帰」を掲げて圧勝し、その後、クーリッジ、フーバーと三代にわたって、共和党が政権を握る。

 大戦後の1920年代は「黄金の20年代」と呼ばれる。女性参政権が成立し、GNPが1.6倍になり、自動車普及台数はヨーロッパ全体の5倍、2500万台に上る。

 この年代に営業が開始されたラジオ放送はすぐに全国ネットへと拡大し、摩天楼が立ち並び、WASPという価値観がアメリカニズムとして強調され、禁酒法が施行され、KKKの活動が再び活性化し、移民制限法が成立した。

 そして、マイルス・デイビスがイリノイ州アルトンに産声を上げた1926年、ヘミングウェイの処女長編『日はまた昇る』が発表された。彼が27歳の時である。

| 第三の人間 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
第三の人間を求めて
 第三の人間とは、アリストテレスが、その師匠であるプラトンのイデア論を批判するために用いた概念である。

 アリストテレスは、イデア論に対して、真実在である人間のイデアと個々の人間では、二つを結ぶ第三の人間が存在することになり、イデアが無数に存在するという不都合が起こるといって、イデア論を批判した。

 意味はよくわからないんだけれども、第三の人間って言葉がかっこいいじゃないかと。第三の男みたいで。

 俺はこの第三の人間を肯定的に捉えてだな、個々の人間の取るに足らない事情は脇に置いて、かといって完全で理想的な人間でもない、第三の人間を見つけようと思い立ったのであった。

 その最初の試みとして、アーネスト・ヘミングウェイを読んでみようと。なぜヘミングウェイか、それはフォークナーと並んで、アメリカ文学を世界の文学にした最初の作家だからだ。というのは建前で、トマスピンチョンより英語がずっと読みやすいからだった。

 作品はヘミングウェイの処女長編となる『日はまた昇る』で発表は1926年。

 ヘミングウェイは十九世紀末から二つの世界大戦をはさんだ、喪失世代に当たる作家だ。何の喪失かというと価値観の喪失である。本書を繙く前に、まずは彼の生きた、また作品の書かれた時代背景から確認してみることにする。

 ちなみにヘミングウェイはイリノイ州出身で、イリノイの語源となる言葉は先住民の言葉で「完全な人間」を意味するとか。

 これは、もう行くしか。
| 第三の人間 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |