CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2009 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
ついった
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

最近の昨日

今日のことは明日書くとして
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
もしもピアノが

 魅力のかけらもない奴らに捧げるうた。ワン、ツー!

 ギターが弾けなくても 俺は歌う

 ギターが弾けなくても 俺は踊る

 伝えたい事が まるでない

 こんな夜に ギターも弾けないなんて

 もしもピアノが 弾けたなら

 俺はピアノを 習わなかった イエス

 二番!

 ギターが弾けなくても キスして欲しい

 ギターが弾けなくても お前が欲しい

 叶わない夢を 書きなぐり

 読んで聞かせなよ そいつがお前のLover

 (セリフ)
 俺は誓いを立てた。クールでスモーキーなジャズをやるんだ。
 努力もした。バイエルから初めてブルクミュラーもした。
 ハノンもインベンションも平均率もみんなやった。
 そして、とうとう一曲もまともに弾けなかった。
 だから、どうだってんだ。
 くたばっちまえ、俺!

 ギターが弾けなくても 俺は叫ぶ

 ギターが弾けなくても 拳を握る

 ギターが弾けなくても 夢を見て

 ギターが弾けなくても 涙を流す

 ギターが弾けなくても 愛を語る

 ギターが弾けなくても 孤独な夜

 ギターが弾けなくても 富士登山

 ギターが弾けなくても 旅に出る

 ギターが弾けなくても お前を許す

 ギターが弾けなくても 許して欲しい

 ギターが弾けなくても 喧嘩ばかりさ

 ギターが弾けなくても 仲直りしよう

 もしもピアノが 弾けたなら

 俺はこの歌を 歌わない

 口が裂けても う・た・わ・な・い

 デケデケドゥン センキュー

 以上。
 けっ、くーだらないったら、くーだらない。

| 昨日の日記 | 22:43 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ゴッドスタンズステーションにて

 ビジネスホテルのシングルは部屋の二分の一をベッドが占領していて、残りの三分の一にテーブルがあり、そのテーブルの上には地デジ対応のテレビジョンにLANケーブル、壁には大きな鏡とドライヤーが引っ掛けてある。

 日英対訳の新約聖書がメインライトのすぐ下に神棚のように奉ってあり、ベッドに横になるとエアコンディショナーのリモコンが手の届く位置に据え付けてある。何不自由の無い暮らし、プライスレス。いや、一泊六千三百円だ。

 自分を評価できないでいて、どうして人から評価されようか。

 バスタブにはった使いきりの湯船に浸かりながら、俺はそんなことを考えていた。

 俺が俺を評価できる点を探してみる。顔はもはやただのおっさん、ややメタボ傾向のアラウンドストマック。人の名前はすぐに忘れる。受けた侮辱はなかなか水に流せない。主張すれば耳障りなハイキーボイスで、黙っていられるほど物分りがよいわけでもない。

 俺は、仕方なしに俺自身と付き合っている。そんな気がしないでもない。

 社会一般の賃金の仕組みは、つまるところその人間に居てもらいたい理由の対価である。それはスキルであろうが、人望であろうが、ルックスであろうが、何だってかまわないわけで、低所得はすなわち、その人間の魅力の価格である。

 愚痴を言っているわけではなくて、一つの思想として想定しているのである。

 ただの思想ではない。それは人間の欲望の本質に調和した強力でプラクティカルな思想である。それに対抗するには、その思想の真髄をよく熟知していなければならない。

 自己批判せよ。

 強力な思想の前に、感傷的で主観的なプラトニズムをもって立ち向かうのは、現代の最新鋭兵器を備えた軍隊に、我流の拳法で挑むのに等しい。

 魅力のかけらも無い人間が、楽しく平和に生きてゆける思想。そんなものがあるとでもいうのだろうか。

 遺産。それは思想ではない。一攫千金も然り。努力。そいつをやり遂げる人間はそれだけで魅力的だ。

 自足。What the hell!満足Hell!そんなのは去勢された思想だ。

 俺は途方にくれる。そんな思想、どうやったって立ち行きはしないんじゃないか。

 セックス。放蕩。チンコマンコの思想。魅力のかけらも無い相手が?…考えてみる価値はある。

 だが、もっとプラクティカルな、もっとリアルな思想はないか。

 死想。死んでどうする。

 問わず語り。誰かが誰かのろくでもない人生を語って聞かせる。そんな思想。顕彰の思想。

 魅力ではない何かを讃えよ。

| 昨日の日記 | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
関東甲信越地方の漠然とした土地で蒙昧な言葉を

 今、出張で茨城に来ている。

 上野から常磐線で役1時間とちょっと。

 来月からマンスリーマンションに移る予定だ。

 俺もついに一人暮らしをすることになる。

 今月の振込みで、全てのローンも完済する。

 予定より一ヶ月遅れたが、とりあえずマイルストーンを一つ通過した。

 ようやくZERO地点に立つ。

 長かった。

 多分、いままでと生活はそれほど変わらない。

 しかし、俺の中で何かが変わった気がしている。

 なんだろう、多分、そろそろ本気出すか、という気分かもしれない。

 俺、本気出すよ。

 マジ知らないよ。

 今度こそ、本気の本気だよ。

 本気の本気で適当だよ。

 人生も適当だよ。

 適当こそが、世界を変えるよ。

 世界が変わらなくても、かまわないよ。

 わかってもらえるだろうか、俺のこの脱力感。

 何か、とてつもなく大事なものがなくなってしまったような気がしなくも無い。

 何か、手触りのある具体的なものがなくなってしまったような気がしなくも無い。

 しなくも無いのだ。

 具体的。

 まぶしい言葉だ。

 それはあまりにまぶしすぎて、かえってぼんやりしている。

 ぼんやり。

 俺は、あわてて周りを見渡した。

 具体的なものはどこかに落ちてやしないか。

 ある気がする。

 ある気がするだけで、いや確かにあるんだけど、だったらどうなんだ。

 ここは茨城の土浦という駅のすぐそばに立っている東急インで、駅の周りにはイトーヨーカドーや、フードコートや、ライフインや、窓の外を走る車の音や、壁にかかっている時計の音が静かに時を刻んでいる。

 受付の女は三人いて、一人はブスで、一人はまあまあで、もう一人はとびきりいかしたベッピンで、誰かが間違えて俺の部屋の鍵穴に、てめえのルームキーを差し込む音が聞こえてくる。

 だったらどうなんだ。

 誰かに何かを伝えるということに、敬意がかけているのかもしれない。

 具体的なものを失った人間の末路は惨めだ。

 安心しろ、俺がお前らの曖昧で抽象的な存在するかどうかも怪しげなものを、おぼろげに書いてやる。

 世界を茫漠の渦で巻き込んで、具体的なやつらを煙に巻いてやる。

 そいつができたら、そいつが完成したら、俺は、俺は、婚活しよ!

| 昨日の日記 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
フェアウェルおじさん

 この間、ふと思ったことがあった。

 欲望は究極まで突き詰めるなら、理想になる。

 俺は成功したい。何に成功したいか、何にでも成功したい。夢とか愛とか仕事とか、全部ひっくるめて、幸福の追求ということに成功したい。

 たいていの場合、一つの成功を持って、他の成功ももたらされる。そして、そういった全ての成功を持って欲望は終わる。それは楽しくて快適だからだ。

 何より、欲望はそこらへんで急速にしぼんでしまうからだ。少なくとも、成功する前よりはずっと。そしてその後の欲望はずっと穏健なものとなる。

 しかし、究極につきつめられた欲望は、そういう成功にも満足しない。その先まで欲望するのである。

 それは何か。どういった欲望か。俺が思うのは、その成功を誰もが望むものとして成功させたいということである。それは言い換えれば、誰からも妬まれない仕方で成功したいということになるのではないか。

 それはある意味究極の成功欲であり、究極の野心である。

 たとえば一生遊んで暮らせる金を手に入れる、という成功を望んでいるとする。そこまでの欲望であれば、法を犯してでも手に入れる。騙してでも手に入れる。騙しはしなくても合法的にでも、とにかく稼ぐなりして手に入れる。あるいは、本当に喜ばれるもの、社会の役に立つものを生み出して、その対価を得る。いろんな成功の仕方があるだろう。

 しかし、どれだけ慎重にやったって、世界中のどこかには、それを妬ましく思うやつがいるかもしれないし、それを望まないやつがいるかもしれない。俺は知っていると糾弾する声が聞こえてくるかもしれない。

 そうして、その先まで欲望を伸ばすことに疲れ果ててしまい、じゅうぶん満足してるし、これ以上はもういいや、となってしまうのが、成功した人の欲望の末路なのではないか。

 その先を望むには、それまで以上の知恵と注意力と体力が要求されるのだと思う。

 徹底的に隠すということに知恵を絞るかもしれない。全てを蕩尽して身を滅ぼすことに体力を使うかも知れない。全てをどこかに寄付するなりして、最底辺の生活に舞い戻って行く人もいるかもしれない。

 どういうやり方にせよ、欲望をそこまでとことん突き詰めるなら、「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と言った宮澤賢治の理想とそれほど遠くないところに行きつくような気がしたのだった。

 それは金とか権力とかそういう大きなものじゃなくてもさ、小さな幸福にだって言えると思うのな。

 あれだけ立派な倫理というか自己正当化を振りかざしてさ、聖人ぶった教えを垂れておきながら、元教え子と結婚するようなあいつに問うてみたいよ、俺は。

 何度再婚しようが、破天荒な生きざまが危なっかしくて、めちゃくちゃ尊敬してんのに、やっぱりふた回りも下の女と結婚して、耳に心地よいコラムなんか書き散らしちゃってるあの人に問いたいよ、俺は。今も好きだけど。

 だけどね、そう思いながら、じゃあ自分はどうなんだって思うのな。

 そこまで欲望できるか。満足と安逸に永久に別れを告げてでも成功を追求し続けられるか。

 そう自問するとね、ああ、あの人たちもその程度の欲望だったんだと、俺もきっとその程度の欲望なんだろうなと妙に納得したりするとです。

| 昨日の日記 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
中庸の人

 受験生もすなる古文といふものをサラリーマンもしてみむとてするなり

 懐かしい古文の参考書を開く。第一章の一題目は小林一茶の『おらが春』からの抜粋。

 読む前に少し日本史の参考書を引っ張り出して、小林一茶の時代についてざっと目を通してみる。

 彼が生きた時代は1763年から1827年。文化で言うと元禄文化から化政文化に当たる。江戸末期の町民文化というところだろうか。洒落、通の気風が生まれた文化で、町人の暮らしや風俗が生き生きと描かれた文学が隆盛する。

 一茶自身は、発句・連句からなる俳句や俳文、仮名詩、雑文を総称した俳諧の人で、信濃は現在の長野県の出身である。3歳で母親を亡くし、16歳で江戸へ奉公へ出ている。

 初婚は52歳で、3男1女をもうける。抜粋された内容は、生まれたばかりの長女、さと、の成長をいつくしむ文章であり、そこには中庸をよしとする一茶の価値観がそこはかとなく漂う、味のあるものになっている。しかし、この、さと、は早世してしまい、その死を悼んでこの『おらが春』は編まれたという。

 目出度さも ちうくらい也 おらが春 一茶

| 昨日の日記 | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
What the hell!
 完全に、俺が間違っていた。人の幸せは最高に素晴らしくて感動的だ!
| 昨日の日記 | 00:46 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ロストジェネレーション

 ヘミングウェイが生まれてから処女長編『日はまた昇る』を書くまでのアメリカが、どういう時代だったのか、高校の参考書をひきながらノートにメモした。

 数日たった今、見返してみると、かなりいい加減なメモで、ほっとくとこのまま無かったことになりそうなので、ちょっと思い返しながら簡単にまとめてみる。

 とりあえず、生まれるちょっと前くらいからということで。

 ヘミングウェイが生まれたのが1899年だから、18世紀末頃のアメリカ、南北戦争が終わってからの半世紀くらいということになる。この間に第一次世界大戦があり、大恐慌へと向かう。そのさなかに『日はまた昇る』は書かれた。

 南北戦争の終結は1865年で、この戦争は合衆国対するに南部11州からなるアメリカ連合の戦争であった。勝ったのは合衆国側で死者は62万。

 そこからの約30年くらいを「金ぴか時代」という。マークトゥエインの同名の作品からとられてこう呼ばれている。アメリカ資本主義が急発展した時で、政財界の癒着や道徳的退廃への皮肉が込められている。

 1870年代、つまり南北戦争後の10年くらいのうちに、資本輸入や鉄道事業で財をなしたモーガン財閥や、石油のロックフェラー財閥などの巨大資本が登場する。大陸横断鉄道や電信、電話が広がったのもこのころだ。

 アメリカがキューバの独立を支援していたことやWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の思想の広まりも記しておく。

 1898年に共和党のマッキンリーが大統領選で勝利する。ちなみに共和党は北部に支持基盤をもつ黒人・奴隷解放を掲げる保守政党。それに対し民主党は共和党から分裂した南部に支持基盤を持つ革新派の政党である。

 この年にアメリカ−スペイン戦争に勝利する。同年ハワイ島を併合(州になるのは1959年)したことも加えておこう。

 翌年1899年7月、イリノイ州オークバ(現シカゴ)にアーネスト・ヘミングウェイが生まれる。

 1901年、プラット修正条項によりキューバがアメリカの保護国となる。同年にマッキンリー大統領が暗殺され、セオドア・ルーズヴェルトが二期連続で大統領を務める。その間にはパナマ運河建設の利権を獲得し、日露戦争ではポーツマスでの講和を斡旋している。

 翌年、キューバ共和国として独立を遂げる。

 間に共和党のタフト大統領を挿んで、1913年、民主党のウィルソンが「新しい自由」を掲げて大統領に当選、二期連続で務める。

 翌年の1914年にパナマ運河が完成する。クレイトン反トラスト法が制定され、独占体や企業取引の違法行為が明確化され、規制の対象となる。ちなみにここから連邦取引委員会が組織され、34年から今にいたる証券取引委員会の母体となる。

 そして、第一次世界大戦がはじまる。

 第一次世界大戦について少し。

 直接の契機がサラエボ事件であることは、受験で世界史をとらなかった俺でも知っていた。オーストリアの皇位継承者が、サラエボでセルビア系青年に暗殺されるという事件である。しかし、受験勉強としてでなく、歴史として考えてみると、疑問がたくさん浮かんでくる。

 まず疑問に思ったのは、オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻がなぜ殺されたのかということ。

 その前に知らなければならなかったのは、殺された場所サラエボについてだった。サラエボはボスニアの州都であり、ボスニアは1908年にハプスブルグ帝国(オーストリア−ハンガリー帝国)に併合され、軍事統制下にあった。そのボスニアの州都サラエボを訪問中に殺されたのである。

 今度は、殺した青年の方である。プリンツィプというこの青年は、政治・文学サークルである青年ボスニアに参加していた。ボスニアという符牒。

 しかし、これで俺の疑問が解決したかというと、そうではない。ボスニアは事件の前から併合されていたし、ハプスブルグ帝国は隣国のセルビアに宣戦布告したからだ。

 結局わかったのは、青年ボスニアに武器などを提供し、暗殺を支持したのが「統一か死か」、またの名を黒手組というセルビアの組織だった。それで、ドイツの支援を得てハプスブルグ帝国はセルビアと戦争を始めたのだった。それにしてもすごいネーミングである。

 第一次世界大戦を最初に始めたのはドイツではなかった。

 でも負けたのはドイツだ。どういうことなのか。

 ドイツ帝国とハプスブルグ帝国の間にもいろいろややこしい歴史の事情があるのだが、この頃は、ハプスブルグ帝国はドイツの連邦国のひとつであった。そして、この機に乗じてドイツ帝国は、これまたアルザスやらロレーヌやらバルカン半島やらの利権がらみで、フランスとロシアに宣戦布告したのである。

 第一次世界大戦にアメリカが参戦したのは1917年。参加のための大義名分はドイツが1917年二月に「無制限潜水艦作戦」を開始したことへの制裁だ。

 これにも補足があって、1915年にアイルランド沖でドイツ潜水艦によってイギリス客船ルシタニア号が沈められるという事件があった。それには128名のアメリカ人が乗っており、かねてから国民感情が高まっていたのだった。

 戦争の結末は、1918年。アメリカとドイツが休戦交渉をおこなっている中、ドイツ国内で革命が相次ぎ11月、休戦条約調印で幕を閉じる。

 大戦後のアメリカについて。

 連合国への借款や食料の提供から、アメリカはこの大戦によって、債務国から一転債権国へと急成長を遂げる。

 1920年の大統領選では共和党のハーディングが「平常への復帰」を掲げて圧勝し、その後、クーリッジ、フーバーと三代にわたって、共和党が政権を握る。

 大戦後の1920年代は「黄金の20年代」と呼ばれる。女性参政権が成立し、GNPが1.6倍になり、自動車普及台数はヨーロッパ全体の5倍、2500万台に上る。

 この年代に営業が開始されたラジオ放送はすぐに全国ネットへと拡大し、摩天楼が立ち並び、WASPという価値観がアメリカニズムとして強調され、禁酒法が施行され、KKKの活動が再び活性化し、移民制限法が成立した。

 そして、マイルス・デイビスがイリノイ州アルトンに産声を上げた1926年、ヘミングウェイの処女長編『日はまた昇る』が発表された。彼が27歳の時である。

| 第三の人間 | 23:20 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
第三の人間を求めて
 第三の人間とは、アリストテレスが、その師匠であるプラトンのイデア論を批判するために用いた概念である。

 アリストテレスは、イデア論に対して、真実在である人間のイデアと個々の人間では、二つを結ぶ第三の人間が存在することになり、イデアが無数に存在するという不都合が起こるといって、イデア論を批判した。

 意味はよくわからないんだけれども、第三の人間って言葉がかっこいいじゃないかと。第三の男みたいで。

 俺はこの第三の人間を肯定的に捉えてだな、個々の人間の取るに足らない事情は脇に置いて、かといって完全で理想的な人間でもない、第三の人間を見つけようと思い立ったのであった。

 その最初の試みとして、アーネスト・ヘミングウェイを読んでみようと。なぜヘミングウェイか、それはフォークナーと並んで、アメリカ文学を世界の文学にした最初の作家だからだ。というのは建前で、トマスピンチョンより英語がずっと読みやすいからだった。

 作品はヘミングウェイの処女長編となる『日はまた昇る』で発表は1926年。

 ヘミングウェイは十九世紀末から二つの世界大戦をはさんだ、喪失世代に当たる作家だ。何の喪失かというと価値観の喪失である。本書を繙く前に、まずは彼の生きた、また作品の書かれた時代背景から確認してみることにする。

 ちなみにヘミングウェイはイリノイ州出身で、イリノイの語源となる言葉は先住民の言葉で「完全な人間」を意味するとか。

 これは、もう行くしか。
| 第三の人間 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
GUN AND OLDMAN

 受験勉強が俺ブームになりつつある。

 文字通り、高校生の頃やった大学受験のための勉強である。

 もちろん、大学を受験するわけではない。大学受験を成功させるべくシステマティックに体系化された勉強を無目的にやるのである。愉しみとしてやるのである。これほど贅沢な時間の過ごし方がほかにあるであろうか、というわけである。

 受験勉強って楽しいかも、と思った理由はたぶん二つある。

 ひとつは、答があるということの感動である。採点を前提に体系化されているため、答がある。アプローチの仕方がある。当たり前といえば当たり前かもしれないが、これほど良心的で成果の保障された学習方法は社会に出たら、ほとんど出会う機会がないのではないか。世界の善意をすら感じるくらいである。

 もうひとつは、脳が若返った気がすることである。この歳になって学生気分もあったもんじゃないが、どうしてどうして、人間まだまだ現役である、という妙な自信が生まれる。

 話は変わるが、昨日までグーグルのタイトルの頭文字がガンジーの顔になっていた。クリックしてWikiのガンジーの項目を開くと、記事の中でガンジーの顔写真が観れるわけだが、この顔、俺の親父に似ているのである。メガネこそしていないが、入れ歯をとったときの親父の顔とそっくりなのである。

 ちなみに俺は、小さい頃は母親似であった。しかしある年齢を過ぎると、たぶん三十路を境にしてだと思う、親父に似てきたと自分でも思うことがある。親父方の遺伝子はもしかすると大器晩成型なのかもしれない。そんなものがあればの話だが、この遺伝子は始め劣性遺伝子としてその性質を潜伏させる。しかし、壮年期あたりから優勢に転じるのではあるまいか。

 ということは、言わずもがな、俺もいずれガンジーのような顔になるのかもしれない。きつい、というかくどいというか、デフォルメしやすいというか、一度見たら忘れられない顔になるのかもしれない。Wikiの記事によると、晩年、実験と称して若い女を裸で添い寝させていたとかいないとか。

 悪くない。

| 昨日の日記 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
やがて静かな夜

 目覚まし時計の音で目が覚めた。夜中にひどい夢で起こされた後だったので、布団の中でしばらく愚図ついていた。

 のそのそと布団から抜け出て、出目金に餌をやるために金魚鉢をのぞいたら、出目金が死んでいた。白い腹を上に向けて鉢のそこに沈んでいた。死因はわからない。飼い始めてまだ半年もたっていないから寿命でないことはたしかだろう。

 気が滅入ったが、ろ過装置のコンセントを抜いて風呂に入り服を着た。家を出る前になんとなくもう一度コンセントを差し込んで出勤した。何かの手違いが是正されて、出目金が息を吹き返すといけないから?まさか。

 会社では今日も仕事がなかった。ウェブアプリケーションのフレームワークをいじりながら、簡単なウェブページを作って時間をつぶした。茨城への出向は今度も先送りされた。給料さえもらえればそんなのは俺の知ったことじゃない。

 気温が下がってきたこの時期は、毎日のように腹を下した。定時までに二回トイレに行き、三回煙草を吸いに行った。

 会社の喫煙所でタバコを吹かしながら、生き物の「死」について考えた。神が生命を創造したという説にはもはや一かけらの信仰もなく、無から生命が生じたという説も支持することできない俺にとって、生命はどんな小さな物でもそのルーツを持つのに違いなかった。ある生命は必ず別の生命にその根拠をたどってゆける。しかし「死」には根っこがない。それは小さな驚くべき事実に思える。

 「死」の後に魂は、生命を維持させていた原因はどこへ行ってしまうのか。死ぬことによって生命に何が生じたというのだろう。俺も死すべきものであり、この体もいずれ灰となる。意識は無を知ることすらなく、悠久の時が横たわるだけだ。やがて全能の神エホバが、世界のあらゆる記憶をどこかに書きとどめていて、世界を浄化する際に人間を、ただ選ばれた人間だけを克明に再創造するという説に、俺は到底与しえない。

 仕事が終わると急いで家に帰った。ろ過装置のコンセントを抜いて、出目金の死骸を小瓶に移すと、以前黒出目金を葬った公園へと出かけた。公衆便所の脇の植え込みあたりにしゃがんで、アルミの蓋で穴を掘った。その間、蚊に五か所も食われた。生命の死を弔う一方で、別の生命に煩わされるのは、皮肉以外の何物でもない気がした。線香代わりに火のついた煙草を一本さして公園を後にした。

 家に帰り、小一時間ほど感傷にふけった後で、腹が減ってきた。何も作る気がしなかったので、駅前の松屋に出かけた。豚丼の大盛りと豚汁を食べながら、誰かの葬式には客に食事をふるまおうと、ふと思った。

 店を出て煙草に火をつけた。そのまま道を歩いていると、すれ違いざまに誰かの舌打ちが聞こえた。普段なら気にも留めずやり過ごしていたのだろうが、どうにもむしゃくしゃしていた俺は、あろうことが立ち止まって呼び止めた。

 「おい、何で舌打っちやねん」そう言ってもそいつは振り向こうとしなかったので、「まてコラ、今舌打ちした奴まて」と敵意を丸出しにして、ようやくその男、腹の出ただぶついた背広の男が足を止めた。「前見て歩け」「ほんならそう言えや」と俺が言うなり、よく聞き取れない奇声を発して男がつかみかかってきた。

 四つに組んだ俺はそいつの鼻先に頭突きを見舞った。俺は何もかもがめんどくさくなって考えるのをやめた。その時にはそいつを地面に倒し、馬乗りになってガードのない頭や胸をさんざんに殴りつけていた。通りすがりの男に羽交い絞めされて引き離されなかったら、とんでもないことになっていたかもしれない。しかし、すれ違いざまに舌打ちして発ち去るような卑劣なやつを見過ごすほど、その時の俺は寛大になれなかったのだ。

 通行人はことごとく白い目で通り過ぎた。俺を羽交い絞めした男が「警察呼びますから」と宥めにかかったので、俺は「警察でもどこでもいったら、はなせ」とわめき散らした。腹の出た背広の男は、やにわにベルトに手をかけて、ズボンの中に手を突っ込んだ。股ぐらから糞をつかみだして俺めがけて投げつけたのだ。俺はあがくのをやめた。俺を羽交い絞めしていた通行人も、いつしか俺を放していた。

 背広は走り去った。背広が投げた糞は幸いにも硬い糞だったので俺の胸をポンと押して地面に落ちた。俺は地面に転がっているそいつの糞を眺めた。俺は近くの植え込みの藪から、枝を折って葉を払った。そいつでその糞をひっくり返し、突き刺して持ち上げた。見事な巻き糞だった。暴力という卑劣なやり方で気を晴らした俺は、かえって笑いが込み上げてきた。

 走った。笑いながら走った。枝に突き刺した巻き糞を高々と掲げて俺は全力で疾駆した。左腕を水平に広げ、手首を直角に曲げて走った。何か酔狂な言葉を発していたかもしれない。

 家につく頃には随分と落ち着いていた。砂と水だけの金魚鉢を洗面所で洗った。残った餌は燃えるゴミに出すことにした。金魚を死なせてしまった悲しみや悼みの気持ちがないわけではないが、きりのない水替えやなんやかやから解放された思いで相殺される程度のものでしかない。俺は出目金を飼って死なせてしまった。それだけのことだ。

 今はただ、俺こそが不条理だったという現実を受け入れるしかないように思う。

| 昨日の日記 | 01:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |