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最近の昨日今日のことは明日書くとして
2011.04.30 Saturday
俺の心のブルートレイン
近道を探してたら黄昏がおりてきた 2011.04.29 Friday
だめとともに去りぬ
だめなもんはだめ 自分に言ってやる だめなもんはだめだ だめなもんはだめ これならどうだっつってもやっぱだめ そこでだめ出すか自分 そこでだめ出すのか みなおしたぜ自分みこみあるぜ wow wow! 書いちゃ消し 書いちゃ消し 消した分だけ水の泡でも 消した分だけだめが消えるぜ だめなもんはだめ 自分に言ってやる だめなもんはだめだ だめなもんはだめ やっとこさ前進っつってやっぱだめ そこで全部消すか自分 そこで全部いくのか いちからやり直す見上げた心意気 wow wow! だってだめなものはだめやし 出てきたもんが自分ってことやし だめを消して自分消して 書きつづけるしかないだろうがたわけ! ちょっとよくなった(まだだめ) さっきよりよくなった(まだだめ) そして全部消すか自分 そして全部いくのかあああ! あんた、あとはまかせた 2011.04.26 Tuesday
マザーハッカー!
目標は、おかんでも使えるインタフェース。 2011.04.24 Sunday
おれおれ会議
先月からずっとゴールデンウィークに思いを馳せている。 2011.04.23 Saturday
このまち、いつかきたまち
原発についてなんか書こうと思ったけど、山岸凉子の『パエトーン』読んでやめた。
笑ってやり過ごせない。 ずっと政治に無関心だったツケだな。くそったれ。 それはさておき。 ちょっとした用事で二日ほど熊本にいたんだが、帰りにちょっとだけ尼崎に立ち寄ってみた。 大阪も、尼崎も、微妙に変化しているくらいでなんかほっとした。 新大阪から大阪に入る時にちらっと見える淀川沿いのテーマパークみたいなあのけばいお寺。 ヤンマーのサッカーグランドとか、あま湯とか、エーデルワイスとか、きりん公園とか、日新中学校とかとか。 そして、立花駅。ま、立花については、いつか別の機会に。 そもそも、こっちきて7、8年くらいしか経ってないので、そんなに変わる訳がなかろうと。 それでも、かつて生活していた場所に訪れると、普段は味わえない感覚がある。 浦島太郎的情緒がある。 まわりをさしおいて 急に年を取ったような錯覚 いったい年を取ったのは おれなのか まちなのか きみなのか はたまたあいつか いいえ誰でも ってそういう事じゃなくて。 なんていうかふるさとって、そういう事も含まれているのかもしれない。 確かにいい気分とばかりはいえない。 しかし、決して悪い気分ではなかろう。 ちょっとだけ 悲しいような、楽しいような 手厳しいような、あたたかいような さよならのような、おかえりのような そんな気持ちがしたとです。 そして、新大阪から 東京行きののぞみに乗って2時間半 車窓に品川あたりの街灯りが流れ出すと 現在にしっかりと息づいた言葉で おつかれさん っていわれた気がしたのな。 この街に。 2011.04.21 Thursday
人工意識に関するメモ
人工意識について考えたことのメモ
人間の五感を外界からの刺激の入力装置とみなす考えかたには、限界があると思っている。 どんな限界があるのか考えてみる。 例えば視覚をコンピューターで模倣してみようとするとすぐに困難にぶち当たる。 まずカメラがパソコンに繋がっているとする。 そのカメラからは、レンズに映ったものが縦横千ドットで1ドットあたり千色の色情報を持つデータとして、パソコンに送られてくるとする。 そうした情報からなんらかの形を見いだして意味のあるデータに変換するプログラムは、不可能ではない。例えばテニスボールを認識してラケットを振るとか。 問題は、ある形に与えられる意味はあらかじめプログラミングされたものに限定されてしまうことだ。 この事は上の文章以上の制限を課する。 まず、形と意味の関係が自明の真理として前提されてしまう。 もっと言うとある形の意味として与えられた観念について、文字通り意味を限定させなければならない。 しかし、人間は実際そのように意味がプログラミングされている訳でないのは明らかだ。 カバとかハナミズキとかとても具体的なものの意味さえ、その色や形だけでなく使い方や、ある場合は食べ方に関してまで、意味は常に未完成のものとして開かれてある。 そもそも「意味」という観念すら明確に規定されないまま、いかにも意味のある振る舞いをしているようなのである。 2011.04.20 Wednesday
さよなら、にっぽぽぽぽーん
日本人止めるとどうなるか考えてみる。
国内亡命。選挙権無し。健康保険も厚生年金もなし。住所不定、無職。 これで明日から会社にいかなくてよくなった訳だが、その代償は大きい。 ただし、今すぐにこまるわけではない。 問題は、所持金が無くなってからだ。 日本人を止めれば、一切の経済活動から閉め出しを食らうのは、日を見るより明らか。 まず、嘘をつかないかぎり賃金を得る労働は出来ないだろう。全ての労働は法律によって規定されているから(たぶん)。 身分を詐称すれば、日雇い人夫とか、個人経営の飲食店でバイトするとか、まあ何とかなるかもしれないが、今より低賃金の労働に従事しているとしたら本末転倒になる。 日本人を止めるのであれば、日本の法律はいったん度外視して、自分の法律を作って生きていくべきだ。 そうすれば、他国(日本)の法律を侵犯しても、俺自身の法律をおかさなければ俺的には無罪である。日本の警察からは逃げなきゃいけないが。 ただし、日本の法律から自由だといっても、人としての倫理まで失う訳ではない。 なので、日本の法律を破る場合でも、必要以上に儲けている企業や個人にターゲットを絞るとか、無銭飲食とか万引きのような軽犯罪にするとか、最低限のルールが必要になってくる。殺人なんてものは言語道断、法律以前の問題なのである。 日本人を止めたとしても、ただの犯罪者に成り下がるのでないならば、俺は自分を(できれば他人も)納得させるだけの俺法典を整備しなければならない。 俺法典を整備したくても、いい加減にしとかないと朝起きれなくなって、明日会社に遅刻してしまうから、寝ることにする。 2011.04.18 Monday
げんきんだま
株で確実に儲ける方法を考えてみる。
お金が1億円あったとする。 どの会社の株も微妙に上がったり下がったりを繰り返しているとする。 俺はバカなのでシンプルなケースで考えてみる。 つまり、株価が上がったり下がったりする確率は、どの会社も半々だと仮定する。 そして、会社がつぶれない限り、長いスパンで見ると下がった株価は上がろうとし、上がった株価は下がろうとするものだと仮定する。 このとき1000万円ずつ、10社に分散して投資するとどうなるか。 上がったり下がったりする確率を半々だとして、いま1社の株価が100万円分上がりました。すると、別の1社の株価が100万円分下がることになる。 いま、確率の分布状態を見てみる。 俺はバカなので、単純化して考える。 一度株価が上がると、最初の前提から、今度は下がる確率が他の会社よりも高いはずなので、−1点とする。 一度株価が下がると、これも今度は上がる確率が他の会社より高い(という前提だった)ので、+1点とする。 で、今の得点は… −1+0+0+0+0+0+0+0+0+1=0点 そこで今度は、株価が上がった方の会社は、株を全部売って100万円だけ儲けた後、儲け分だけ差し引いて、1000万円でまた別の会社の株に買い替える。 下がった方は、じっと我慢だ。 1社の株は一度上がったから、今度は下がる確率が高くなったけれども、その1社の株は全部お金に換えて別の会社の株を買ったので、もとの会社の株を持ち続けていた場合に受けたかもしれない損害の可能性はリセットされたことになる。 一方、下がった方の会社は今度は株価が上がる確率が高くなっていることになる。 で、今の得点は… 0+0+0+0+0+0+0+0+0+1=1点 ただし、この時点での資産総額は、±0円の1億円だ。なぜなら、株の値上がり分で100万円儲けたけれども、他方で別の会社の株価が100万円分目減りしているからだ。 さて、今度は別の二つの会社に株価の変動があった。 1社が上がり、1社が下がる。 なので、さっきと同じ事を繰り返すと得点はこうなる。 0+0+0+0+0+0+0+0+1+1=2点 ただし、ここでもまだ資産総額は変わらず1億円のままだ。 こんな事をあと何回かやっていると、得点がこんな事になってしまった。 1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=10点 でもやっぱり、資産総額はまだ1億円。 ところで、今手元には100万円ずつ目減りした9000万円分の株と、上がった株で儲けた1000万円の現金がある理屈になる。 一見、プラスマイナス0のようだが、持っている株はどれも一度株価の下落を経験しているものばかりなので、確率的に見れば、今後上がっていく確率が非常に高い状態になっている。 ほんとうだろうか? 俺、どっかで間違った考え方してないか? これは何を意味しているのだろうか? つまりだ、マクロな視点で資産運用すれば、ほぼ確実にお金を増やす事が出来るという事だ。 よっしゃーい! みんなの現金を少しずつオラに預けてくれ。 2011.04.18 Monday
俺にもできる脱サラ
職業はプロの空想家です。
よし、これでいこう。 今日、本読みながらふと考えてみた。というか考えてしまった。 どれだけ喋っても語り尽くせないものって何かあったかな、と。 答えはすぐに見つかった。 メロディー付きで。 なんにもない なんにもない まったくなんにもない 情けないじゃないか。 こんなに生きていて、語り続けられるものがひとつもないなんて! そいうわけで、空想だったら何時間でも語ってられるし、何行でも書き続けられるぜ、と。 プロだぜ、と。 そういうものにわたしはなりたい。 まあ待ちたまえ。 プロというからには、ただ空想しているだけじゃいけない。 そこにキャッシュフローが生じていなければならない。 お金の流れない空想家なんてものは、ただのアマチュアに過ぎない。 それでは、空想がどのように職業として成立するのか、ちょっと考えてみる事にする。 まずターゲットは誰か。 他人の空想にお金を払おうという奇特な人間がそもそも存在するのかどうか。 いない気がする。 困った。 いなければニーズを作ればよい。 まずは広告だ。 「空想売ります」 なんか不動産業者から間違い電話がかかってきそうだな。 それに、あまりにも直接すぎて、誰も買う気がしないだろう。 というか、そもそも、何を売っているのかさっぱり理解出来ない。 空想が書かれた文書なら小説でいいじゃないか。 空想が描かれた絵なら漫画や絵画でいいじゃないか。 空想が映された映像なら以下略。 なので、イメージを喚起するためのキャッチーなコピーを考えてみる。 「オリジナリティの創出」 もっとわからない。 「人生を豊かにするお約束」 なんか違う。 「あなたの知らない世界への扉」 こわいな。 「君の友達」 もっとこわいな。 うん、思い浮かばない。 困った。 何処かに問題があるはずだ。 ならば、何処かに出口があるはずだ。 とりあえずの問題を箇条書きにしてみる。 1.お金を払って得られるアウトプットがよくわからない。 2.どんな労働が行われるのか(何に金を払うのか)よくわからない。 3.それが必要な状況がよくわからない。 よしよし。 まずアウトプットについてだが、これはクライアントの要求にお答えします!というかたちにする。電子でも紙媒体でもネガでもポジでも映像でもホームページでも、まぁ思いつくメディアは全部対応を唱っておけばよい。 次に労働の内容だが、当面はアウトプットを作成する作業という事になるだろう。仕事が軌道に乗れば、多くの作業はルーチンワークになって、その分空想に当てる時間が増えていく。そして、最終的には100%ピュア空想のコストパフォーマンスを実現する。 そのような空想を人はどんな時に必要とするのか? 大きく、二つのケースが考えられる。 ニッチ型。例えば、絵を描く技術はあるが、原作が思いつかない万年アシスタント。野心はあるがビジョンのない金満家。自分の研究分野で行き詰まってしまった科学者。とかとか。 コンペ型。小説界の大型新人を募集。広告界の大型新人を募集。テレビドラマのシナリオライター募集。演歌の歌詞募集… 俺は、糸井重里でもめざしているのか。 もとい、た・か・し・ろ・つ・よ・し ああ、そうか。 手段を選ばないクリエイター。 要するにそういう事か。 2011.04.16 Saturday
その先に言葉はない
ひさしぶりに宇宙に目を向けて、スケールの大きい事でも考えてみるか。
無茶ぶりし過ぎた。俺、自分に容赦なく無茶ぶり。 でも、思いついたよ。 だいぶ前に中央線の八王子から中野に向かう電車の中で考えていた事だった。 宇宙の法則について、めちゃくちゃ根源的な疑問が浮かんだんだが、文章でうまく表現出来るかはわからない。 例えばDNAってあるでしょ。あれって実際にどうやって使われているのかって言うと、DNAからmRNAだかなんだかの断片として複製されたコードがリボソームに送り込まれて、リボソームはそのRNAのコードを構成する塩基配列を頭から順に読んでいって、アミノ酸に翻訳していく(つまり生成していく)、という様なことが行われているらしいのな。 こんな風に説明すると、なんかあらかじめ設計されたシステムのイメージが思い浮かぶでしょ。でもそれはただのイメージだってことはみんな知ってて、実際は自然選択を積み重ねた結果、気が遠くなるような長い時間をかけて洗練されたきた自然の産物なわけですよ。 だがまてよ、と。 そういう仕組みは了解した。ところで、そのRNAのあるコードがある決まったアミノ酸に翻訳されるのはなんでなの?と思った訳だ。思ってしまった訳だ。 GGAとかGGGとかいう配列がグリシンだかなんだかのいつも決まったアミノ酸に翻訳されるそのルールってなんなのと。 もっというと、宇宙に偏在している何らかの法則ってものがあって、科学はその法則を発見する学問だとしてですよ、その法則自体はいったいどんな成分で成り立っているのかと。 そんな何となく考えちゃいけないような疑問を頭に浮かべつつ、同時にそういう疑問って果たして、まっとうな問いといえるのかどうかもわからなくなってきたのね。 1+1=2のイコールっていったい何で出来てるのって聞く俺はバカなんですか?っていうなんとも入り組んだ疑問が頭に浮かんでくるとです。 科学が法則を発見するのはいい。実際にそういう法則が確かに存在するんやろうと。 ところでその法則ってどういう仕組みで法則として成立しているのかと。科学は法則を見つけられても法則の法則は見つけないのかね。 いや仮に見つけたとして、それじゃ今度は法則の法則の法則の・・・ってことになるのか、あるいは何処かで疑問が消滅するくらいまで解明されるのか? いやいや、飛ばしすぎた、とりあえずのとりあえずは法則の法則だけでも聞いてみたい。 とはいいながら、法則を見つけるまでが、人間の知性の限界なのかもしれないと思ってみたりもする訳だ。 具体的にいこう。 ここにオムレツのレシピがある。誰かがこれを読んでオムレツをこしらえる。 これは理解出来る。 しかし、ここにAAAというコードがある。これをリボソームが翻訳するとアッチョンブリケというアミノ酸が出来ますよ。となると、なんだか腑に落ちないものがある。 AAAをアッチョンブリケに翻訳するその翻訳ルールはリボソームの側にあるのか?自然法則として存在するのか? リボソームの側にあると仮定して、リボソームは何処かに翻訳ルールを記憶していて、注文が来る度に毎回間違えずに相応しいアミノ酸を作っているのだろうか? そうではなくて、特定の塩基配列が、リボソーム内の特殊な機構を通過する時に、自然法則が働いて、特定のアミノ酸が必然的に生じているのか? 自然法則っていったいなんなの? 法則は、科学が現在到達する事ができた限界地点に付けられた単なる呼び名に過ぎないのではないか? わからない。わからないから、寝る。 |